2019-04-12 第198回国会 衆議院 厚生労働委員会 第8号
このような場面としての広がりだけでなく、患者さんに寄り添うという意味でも広がりを見せていて、人の心の中にある宗教心にも寄り添っていく必要があるわけです。 こうしたニーズに応えるには臨床宗教師の活用が重要ではないかと考えるわけですが、特定の宗教という意味ではもちろんありませんよ。
このような場面としての広がりだけでなく、患者さんに寄り添うという意味でも広がりを見せていて、人の心の中にある宗教心にも寄り添っていく必要があるわけです。 こうしたニーズに応えるには臨床宗教師の活用が重要ではないかと考えるわけですが、特定の宗教という意味ではもちろんありませんよ。
そこは宗教心みたいなものが高まるから気をつけてねという注意喚起を外務省はしています。この日付が、六月の十日、十七日、二十四日、七月一日。この日付は集団礼拝があるから気をつけてねと書いてあるんです。それが、この二〇一六年の七月一日なんですね。
日本の道徳教育というのは、そういう面では、宗教を当然、日本としての宗教心を背景にしながら、宗派、宗徒に一辺倒に属しない部分としての普遍的な価値をどう子供たちに教えるかという積み重ねの中で今日来たのではないかというふうに思っておりますので、改めて、それはまさに大臣御指摘のように普遍的な価値を持つということではないのかなというふうに感じておりますので、そういう面では、今、日本型教育を輸出しようということで
ある意味では世界で一番宗教心の深い国民だと思います。そういう自然のあらゆるものに神秘性、神を感じるような書きぶり、それがこれからの地球、自然環境を救う一番の肝だと思いますので、そういう自然観とか和の精神、それをぜひ書き込んでいただきたいと思います。 以上です。
一つは宗教心です。これは特定の宗教じゃありません、幅広い意味で命をいたわる心とか、そういうことだと思います。二つ目は人の道、道徳。三つ目が歴史。これをきちっと教えてこられなかった人たちが将来リーダーになったときのこの国は危ういと言ったそうです。今、その言葉を思い出しました。 特に歴史については、自分も少年時代そうだったと思いますが、近現代史はきちっと教わっていないんです。
しかし、私ども、やはり人間というのは、もちろん決して万能じゃないんで、やはりある種の宗教心といいますか、人知を超えた何かの営みというのがあるんだ。そういうものに対する謙虚な気持ち、敬けんな心、これを持つことは大切なことであるし、そうしたことを私たちは失うことはできない。これは、これからもずっとそうしたことを涵養していかなきゃいけないことだと思うんですね。
宗教心もなく、哲学もなく、日本人としての誇りもなくしているんです。 その原因は戦争にあるんでしょう。占領政策第一条、日本人を食うや食わずにして放置せよ。第二条、日本の伝統文化を破壊せよ。こうなっていったことは事実です。一については、朝鮮動乱以降、急激に日本は復興してきて、解決しました。問題は二です。
質問に入る前に、今の政治家に決定的に欠けていること、これは自民党も含めてですが、まず一つは宗教心のなさ、二つ目は哲学がない、三つ目は理念がない、私はこういうふうに実は思っているんです。 私が言う宗教心というのは、仏教に、「如何なるか是れ仏法的々の大意」という質問をあるときにある和尚にしました。趙州和尚にしたんですが、答えが無と言うんです。どういう意味かわかりません。
(谷川委員「宗教心がない、哲学がない、理念がないと言っているんだ、コメントはどうですかと言っているんだ」と呼ぶ)自民党には哲学があって理念があったの。 いわゆる、これまでの八百兆を超える国の負債というのは、ではいつ、どこで、どのようにしてできたかと考えてみれば、自民党政権、我々はまだ半年たたないんですから、その間にできたこれだけの負債じゃないですか。
この品格に当たるのは、やはり宗教心とか道徳心だと思います。この三つがやはりどこの国の指導者であっても要求されるんじゃないかと思います。それがいかほど備わっているかによって、やっぱり偉大な指導者かどうかというような、あるいは評価をされる度合いが変わっていくんじゃないかと思います。 ここで、一番目のやっぱり見識、総理も先ほどおっしゃいましたように、理念が非常に大事だと。全く同感であります。
○丸山和也君 時間がなくなってきましたので、もう最後に締めくくりたいと思うんですけれども、なぜ私がこのように言うかというと、歴代総理と違って、鳩山総理というのはやっぱり非常に精神性を重んじる方だと、道徳性といいますか、宗教心。
○丸山和也君 じゃ、時間が来ましたので、どうか、見識、胆力、それから宗教心といいますか、そういうのを堅持されて、ますます強くされて、日本丸のかじ取りを誤らないように頑張っていただきたいと思います。
宗教心を持ち、哲学、芸術、伝統文化を生活に取り入れ、それぞれの民族がもう一度伝統文化の中で生活することです。これも、細部にわたって述べる時間がないので、次の委員会で論じたいと思います。 秘書が在宅起訴や逮捕されると、あなたたちが野党のときは今の自民党の二倍くらい批判したのに、今は平然として開き直っている。こんな人たちを日本語では、品がなく、粗野と言う。
それは、国民の代表として出てきているんだから、宗教心のある方で、哲学を持ち、信念を持ち、できれば教養もあってほしい、そういうふうに思います。
それから、さっき質問をされた大島君が退席をされましたが、NGOと宗教という問題で、私はやはり宗教心のある人がNGOに一番協力をされるということはあり得ると思うんですよ、犠牲の精神、人を救うというような話ですから。それを排除するべきではないと思うんでありましてね。
○参考人(小峰隆夫君) 今御指摘の公共的意識ですとか宗教心ですとかそういった面については私は余り判断する能力がないんですけれども、私はずっと経済をやっているんですけれども、経済的な発想というのはどういうふうに考えるかというと、何か我々の行動の結果としてまずいことが起きたときに、それは一人一人の基本的な考え方、思想が悪いんだという発想をするのではなくて、一人一人が自由に自分の好きなようにやった結果として
私は、どうもその背後には、共に生きるということとか、それからそのための社会的意識や公共的な意識という、どうもここが本当に我が国、例えば我が国の場合はちゃんとそういうものが備わっていたのかどうか、これを醸成してきたのかどうかということが第一点と、もう一つは、家族を大事にするとか子供を大事にするとか命を大事にするとかという観点で、これ、宗教心みたいなものがあったのかなかったのかとか、そういう面ではヨーロッパ
とりわけ、木寺さんの資料の五ページのこの表を見てショックといえばショックなんですが、これ、欧米と比較して最大の原因は、宗教心であったり、それから教会との結び付きだったり、そういう活動の差なのかなというふうに思ったり、それから一方で、我が国におきましても、町内会みたいなのがあったり、それから村の神社の奉賛会みたいなのがあったり、それから私設消防団なんかもあったりしています。
中曽根、それは自分がそういうふうに修行し、歴史と宗教心を身に付けることだと。 こういうことで、私、これたまたま読んでいて、教育ということに対して総理大臣というのは最も力を注がなきゃならないんだということがやっぱり端的に述べられている。それで、自分自身も宗教心と歴史について、総理たるものしっかりと勉強しなけりゃ駄目なんだというふうにおっしゃっているんですね。
委員御指摘の宗教心そのものではないかもしれませんが、これからの社会を担う子供たちに、命や自然を大切にする心でございますとか、他人を思いやる心などをしっかりと身に付けさせ、豊かな情操をはぐくんでいくことは大変重要と考えております。
それで、僕はこれ、ここでやっぱり眼目は宗教心を養うということで、別にどの宗教に帰依しなさいとか、宗教の教義を細かく教えて説教するということとは全く違うと思うんですけれども、あくまで人類と宗教とのかかわり、宗教というものが我々の個人個人あるいは社会の中でどのような役割を果たしているかということを単に知識として教えるんじゃなくて、やはり宗教に対する敬う心といいますか、宗教心というか、そういうものを涵養するということが
私はその際質問させてもらって、それは宗教心みたいなものですかというふうに言わせてもらったかなと今思い出しているんですけれども、私なんかは宗教心はどうかと。皆さんそれぞれあるというふうに思いますけれども、私なんかの宗教心は祝儀と不祝儀の儀式上の宗教心、宗教だけは形の上で持っておりますけれども、なかなかそうしたものがないんです。
それは宗教心とも関係するのかどうかですね。それから、おっしゃいました、つもりになるという、自分への言い聞かせということなのかどうかですね。要は、個性なのか、それともそれを克服された宗教心みたいなようなものなのか、これは幸せを考えるに当たって、先生、類型化するのは良くないと分かりながら、その辺はどんなふうにお考えになっているのかなということをお聞きしたかったものですから質問させてもらいました。
もうそれぞれやっていて、私は逆に、宗教心のない、まあ私も少しはあるつもりなんですけれども、私みたいないいかげんな人間よりは、もうそれは創価学会に入ってしっかりそういうことをされている方の方が私はいいと思いますよ。
日本人は宗教心がないと言われますけれども、自然を恐れて自然とともに暮らすというのが私たちの文化だと思います。 今年は実は源氏物語千年紀なんですね。千年前に欧米にこれほどの洗練された文化があっただろうか。しかも、源氏物語お読みになっていると思うんですけれども、ここには金銀財宝の話はほとんど出てこないんですね。美しい庭とか自然とか、知的で優しい人のかかわりとか、そういうものが出てくるんです。
そこへ行くために何日かかるかということを考えますと、やはりその近くまで自動車なりあるいは鉄軌道で行って、そこから、熊野古道というのは本来歩くものですね、昔はアリが歩くようにたくさんの参詣者が歩いたということが言われておりますけれども、そういうものを味わっていただくためにも、限られた時間でそういうものを味わっていただく、深山幽谷の中に入って、すばらしい景観なり、宗教心といいますか緊張を覚える、そういうようなことを